【日本語訳】
人の行いに限りなど無いように、世界もまた果てのないものである。しかし、優れた眼で見れば、広大無辺の大千世界も手中の芒果のようなものである。無数の四天下が薺のように等しくても、ただ閻浮提の形は人の顔に似て、しかしそれも蔵の中の一粒の粟のようなちっぽけなものにすぎない。さて、凡人は洞穴の中ではほんの少し先を視ることしかできない。離婁は百歩離れた所から、秋毫(秋になって生えかわった獣の細い毛)を見極めたが、玄珠を捕らえることができず、鴟鵂は夜の闇の中で蚤を捕ることができても、昼間は目を瞑っていて丘山を見ることもできない。常人は壁を隔てれば、盲人のようである。だとすれば、塵洲については言うべくもない。ああ、井の中の蛙が大海を語る術がないだ
けである。
ひそかに思うことだが、曩哲は生涯をかけて辺境の域を極めたが、章允が踏み行った場所や夸父が越えた場所には、未踏の地が遺されている。班超は長い間をかけたが、その足跡は遠くないし、張騫は遠くを行ったが、航海を広くおこなったわけではない。ただ我が仏門の三蔵である法顯や玄弉だけが我が身を捨てて危地に赴き、遠くその辺境まで詣でて尋ね尽くして、その果てを極めたと言える。そして、その記述されている五天・胡羌・蔥嶺・雪嶠の辺りは、前に伝え聞いたものと異なってはいても、そこに全て存在している。しかし、やはり海の外はまだ極められていない。(そうはいっても)朝鮮・日本・琉球・暹羅(タイ)・呱哇(ジャワ)などの粟のような小国群にまで、どうして彼らの足跡が及ぶだろうか。まして、歴世の革新や、梵語や漢語における講釈の違いをそのままに、ただ一方を極めて、風俗の境界を載せてないのは言うまでもない。
そこで、『史記』の傳に(異国の事が)僅かばかり挙げてあるのだが、多くが混乱していて、後世の読者をいよいよ惑わせるばかりである。『三才圖繪』及び『圖書編』、『明一統志』等には、或るものは漢語と梵語の音に迷って別の国を成し、或るものは南北の地は並べたように描くだけでその国名は記さず、或るものはただ国名を記すだけで位置を示さず、大国を小国としたり、狭い地域を広い地域と称するものもある。そして、どれも五印度の境界を詳らかにできていない。
志磐の『佛祖統紀』には世界の名とその実態を記した名體志があり、(それによって)西土の五印度の地図が世に出た。私は、偶然にもこれを詳しく見ることができたのだが、覩貨羅(トカラ)・瞢徤・鐵帝・(口+皿)摩・訖栗・阿利尼などや、また謎羅川は、どれも蔥嶺の東北に並べている。このことから、(五印度の図が)劣ったものであると悟った。(このような誤りがあるのは)『西域記』によって、『釋迦方誌』の「慈恩傳」を参照しなかったせいである。また、(この五印度の図は)河江を記しておらず、辺境の地も書き損じている。布怛洛を師子國(セイロン島)の東に置き、楞伽山を欠いているのは、みな間違いである。
昔から我が国の名刹に収めてあるものに、五印度の図が有る。これを開いて見たところ、全く『佛祖統紀』より劣っていると判った。また、大唐の果ての補陀山から南海の浜を測ったところ、その距離は一万里であった。中国・インドの名所が乱れ、どちらも五天竺の境を失っていることに涙し、言葉をなくす。このように、その図は、取るに足りないものだ。だから、人に見せるのに、とりとめなく見せるに任せるべきではない。私は、またこれに間違いを見つけること久しい。
比較するのに、嘗て収集したものがある。大体の瞻部洲にある塵のような小国を統合し、一つの掌に縮めて収める。掲げて、『萬國掌菓図』という。これを一目よく見れば、そのまだ旅遊しないところ、未踏のところというのは、戸庭を出ないで見ることができ、多くの掌にある国を指し示すことができ、晴れた夜にもたれて星を仰ぎ見るのと同じである。しかし、わざわざ捜すことを労わないでほしい。(この図は)明らかに見てとることができる。何と便利なことか!ああ、私もまた狭い見識からぼんやりと判るのだが、この図は、全くその工匠を実に尽しているのだ。それは、大変難しいことだ!そして、刻本し、遂に、お祝いをすることになったのだが、梓(=版木)は流出してしまったので、これのみを不朽のものとして伝えることになった。大体、この図を設けたところ、天竺や蔥嶺の東に係わる所で、全て周囲は千里となり、また囲いは一寸で、広さもまたそうであり、これが定石の方式である。中国・朝鮮・日本・琉球・交址・占城などは、大体が各々昔からの書を熟読するが、字音の取捨選択ができない。その他の諸蛮国は、多くは字音が通じないものがある。よって由来もなくその州県の里程を書き表しただけである。その各々の境は、碁石や星々が連なり合わさるようにバラバラに散らばっているので、往々にして、指で描き示して少々違うことが無いわけではない。(しかし)どうか間違いだと言わないでほしい。木の影が地面に射すと、どうも傾き曲がってしまい正しくないというようなものだ。まして、山川・江海・殊壤・異垓を集めて(図上に)併せたところ、九万里余りもあり、また、他の領土外は、全ての頭が等しくしたが、一つの掌ほどの図面ばかりに納まるだろうか。大体の仏教を学ぶ者でこの地図を見ることがないならば、経典に対するたびに、究めることが不充分になるではないか!それなのに、世の儒学者は地理を論じる話題は、ただその(距離である)万里の話に及ぶだけである。このことを信じるな。(井の中の)蛙は知っていることも少ない。また五天竺の豊かなことも知らない。だから、辺境の地を取って、中国(=真ん中の国)としたのだ。まして世界の中心の須彌山や広大な大千世界、あるいは、善財童子が尋ねる華藏界、帝釈天の宮殿の網のように重なり合っている世界海を知りたくはないか。これは後に学ぶ者は知っていたほうが良いものである。そのために述べる。
宝永七年(一七一〇)春月穀且に抄す
日本國京兆 頭陀 浪華子 製圖して撰す 書肆 文臺軒字平藏版