仏教系世界地図とは、仏教において人間の居住世界とされる南瞻部洲を、基本的に北広南狭の形で描いた世界地図のことである。
玄奘の『大唐西域記』の記載を地図化し、玄奘の旅行ルートが朱線で示された法隆寺蔵の「五天竺図」
(重懐書写。貞治3年(1364))が、現存最古の仏教系世界地図である。
近世になって、西洋的な世界地図が紹介されると、それに対抗しようと仏僧によってインドを中心とした世界地図が作られた。
また、その対抗策として、西洋的な世界観と、天竺を中心とした日本・中国からなる伝統的な三国世界観・仏教世界観とを調和させ、
新たな仏教系世界地図を作ろうとする動きが現れたのである。
元禄・宝永(17世紀末-18世紀初)の頃に久修園院の住職宗覚によって作られたと言われる「南瞻部洲之図」を改訂し、西洋の地理知識を一部書き入れた ‘仏教系世界地図’で、宝永7年(1710)に、浪華子によって刊行された。本図は、逆三角形でカブラ型の「南瞻部洲之図」と比べてやや左右の対称性は失われており、 また、「五天竺図」や「南瞻部洲之図」と違って、玄奘の足跡を明示することもない。 須彌山を中心に、インドや中国以外にも様々な国々が描かれており、北東部にはヨーロッパが群島状に描かれ、日本の南北にも島が見られ、 仏教世界を中核としつつも、全体的な南瞻部洲の世界図を作成することを意図したものである。 板行の南瞻部洲図としては最初で、かつ最も詳細な図として広く知られ、多くの通俗版や簡略版が本図を基にして刊行され、庶民の間で流布した。
作者は、近世華厳宗中興の祖・僧濬(号・鳳潭)で、浪華子は彼の筆名であるといわれる。 比叡山延暦寺で修行し、華厳宗再興に力を注いだ稀代の学僧で、享保8年(1723)には京都で寺を開山した。 妙徳山華厳寺(通称・鈴虫寺)という。「華厳の鳳潭」とも呼ばれ、華厳を以て一代の業を為した。