文化9年写 福岡城下町・博多・近隣古図 「三奈木黒田家文書」423号
福岡藩家老の三奈木黒田家に伝来したこの絵図は、縦223.2p、横266.5pの大きさであり、江戸時代後半の19世紀初めにおける福岡・博多の様子を描いている。
一般に福岡を武士の町、博多を商人の町と呼びますが、これは市街の形態や機能、住民構成の違いだけでなく、その形成過程の違いも大きく影響しています。
博多は、中世期より中国・朝鮮、および南蛮貿易の港として栄え、島井宗室や神屋宗湛など多くの貿易商人を生み出す商港都市として発展していました。
福岡は、慶長5年(1600)の関ヶ原戦の後、豊前中津から移ってきた黒田長政によって建設された都市でです。絵図の中においても、福岡・博多の家数などを別々に書いてあり、福岡は武士宅838軒・町人宅1629軒、博多は町人宅3395軒とあります。
福岡と博多の違いは、福岡弁と博多弁の違い、または人々の意識や博多祇園山笠などの祭礼にも表れていますが、福岡藩の行政においては、ともに町奉行の管理下にあり、一体のものとして掌握されていました。したがって、福岡城下を描く他の絵図においても、福岡と博多はセットで描かれることが多いのです。
絵図には、文化9年(1812)に写したことが明記されており、和歌などの文字情報も含まれています。福岡・博多の歴史・地理・文化に関する記述は豊富であり、侍屋敷には居住者の名前、さらに一部には石高や家紋まで書き込まれています。これは、福岡藩公用の絵図ではなく、公用のものを参照して作られた私用の絵図と思われます。